最後の叔父




今朝、兄から電話があった。

ぼくたちのおじさんが亡くなったという連絡であった。

来月100歳の誕生日を祝う予定だった。

ま、ほぼほぼ100歳という大往生であった。

姉にあたる母も99歳を目の前に亡くなったし、脳梗塞で長く病床にあった妹のおばさんも92,3であった。

みな長生きの兄弟だった。

これでぼくたちのおじ、おばは皆、鬼籍に移った。

次は僕らの番なのだろう。

亡くなった叔父さんは、海軍の軍医で、ガダルカナル撤退作戦、ラバウル、そして大和ともに駆逐艦「雪風」の軍医長として沖縄水上特攻作戦に参加した。

生きて帰って来たのが不思議なくらい絶体絶命のところから何度も生還した強運の人であった。

ラバウルに行った時は、3隻のうち2隻が魚雷攻撃を受け、撃沈したが、叔父の乗った船だけが無傷だったという。

「雪風」ではいくつもの不思議な体験をしたという。

米軍艦載機に攻撃を受けていた時、甲板に出てみると、まっすぐ自分の方へ魚雷がくる白い航跡が見えたという。

「あっ」と身構えた時、その魚雷は、艦底の下をそのまま通過していったそうだ。

叔父さんの部屋には小沢長官からの「感状」が飾られていた。

戦後は長く佐賀県山内町三間坂で医院を開き、市井の医師として生きてきた。

その功績から「ノバルティス地域医療賞を受賞し、雑誌にも取り上げられたりしていた。

ぼくは、幼いころから海軍のことに興味を持っていたので、ずいぶんと可愛がってもらった。

88歳の米寿の際は、記念のお皿のデザインを頼まれ、そこに短い文をしたためた。

「25歳で散るはずの命を助かり、以降こうして田舎の片隅で医療に勤めてきたことを、死んだ戦友たちはきっと褒めてくれるはずだ」。

そんなことを書いたように思う。

叔父さんは、帰省してお会いするたびにこの文章の文言を褒めてくださった。

優しい、そして僕にとっては自慢のおじさんであった。

ご冥福を祈ります。














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