新珠美千代さん




手あかのついたフレーズだが、つい最近もなにかの本にこう書いてあった。

「人間は棺の蓋を閉じるとき、その人の価値が定まる」と。

死んでせいせいしたといわれるような生き方をしてはいけない、と。

でも、ぼくは思った。

ぼくも死んでせいせいされる口じゃないかな?

どう考えてもそうなのである。

ぼくは、人付き合いのために、いわゆる親切ごかしをする人を嫌う。

特に、女性でやたら困ってる人、落ち込んでいる人に立派な態度で慰めの言葉をかける人をどうも胡散臭く思う。

ぼく?老後の趣味?

趣味というほどではありませんが、遊びで落語をやってます。

そうですね、老人介護施設とかでボランティアでやってます。

「えーーー、ご立派ですわ、いい老後をお送りですね」

こういうことを言うおばさんをぼくは遠ざける。

ハッキリ言って大嫌いだ。

孫は無条件で可愛いというが、ぼくはそうも思わない。

孫三人にそれぞれどうしようもない欠点を見る。

なにかにつけて、それを突くから孫からも嫌われる。

その母親、つまり自分の娘からも嫌われる。

嫌われ度が増しても、腹の中で「ダメなもんは、ダメだろう」とつぶやいている。

家内などはやたらほめまくるが、それもどうだろうと冷めた目で見ている。

だから、おためごかしのようなことは一切言わない。

そのせいでみな距離を置きだしている。

それならそれでいいと思う。

どちらにしても死ぬ時は一人だ。

どれだけ多くの人に愛される人であっても、死が幸せに変わるわけでもなかろうとそう思う。

ぼくはあに図らんや、下流老人の道を突き進んでいる。

ぎりぎりの生活費の中で「残された時間」を垂れ流し状態で浪費している。

浪費の元のひとつが落語である。

ご立派なわけがない。

耐え忍んで立派な道に就く人生を目指したができなかった、老残の敗者である。


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