結局、女は友情より愛情よ!

「結局、女は友情より愛情よ!女は男をとる、それだけのことよ」。

今日の「花子とアン」視聴後のわが家のアフタートークで、家内が放ったひと言だった。

ご覧になっていない方たちには、何のことかお分かりにならないだろうが、今朝の「花子とアン」。

話は、すでに昭和に入っていて、どんどん軍靴の響き大きく、大きな時代の波にのみ込まれ始めている。

大正デモクラシーの中、資産家の夫を捨て一書生と駆け落ちをした放埓な自由はすでにない。

仲間由紀恵の演ずる「宮崎蓮子」が、無二の親友であった吉高由里子演ずる「村岡花子」に向かって、「わたしを誰だと思っているの?華族の身分も何もかも捨てた宮崎蓮子よ、わたしは、あなたのような卑怯な真似はしないわ」と言い放つ。

そこで、「村岡花子」もカチンときて、友情の破れたことを知る回であった。

確かにと思う。

男は、変な義理に引っ張られて友情をとることがある。

女なんかにうつつを抜かしている場合じゃないだろ、と言われると「いや」とは言えない気分がある。

ところが、女は男をとる。

蓮子さんだって、龍一さんが左翼系の活動家ではなく右翼系の活動家だったら、反対の立場に立っていたかもしれない。

その意味で、家内のひと言は言い得て妙なのかもしれないと思うのである。

ところで。

この平成26年の世相は、大正時代に似ているという人がいる。

またぞろ、軍靴の響きに蹂躙されるのではないかという、そんな岐路にあると。

実は、ぼくは11月に「おとなのための朗読会」と称して、大正時代の作品を語る朗読会を計画している。

でも、最初からそんな危惧感を前面に出してという朗読会にはしないつもりだ。

朗読の語り手は作品と来場者の媒介役に徹して、解釈はお客様個々人それぞれの解釈に委ねるべきだ、と思うからだ。

実は、そのためにいま、有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」~有島武郎評論集~を読んでいる。

難しい。

結局、何がおっしゃりたいのかと章ごとに疑問符だらけだ。

その傍ら、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の訳本を読み進めている。

こっちも内容はかなり難解だ。

台本なので、読み進むスピードは速いが、なぜこういう台詞のやり取りなのかを考えるとちんぷんかんぷんに近い。

つい先日、FBでなんかの弾みにぜひこういうのをやりましょう、と尊敬する演出家の方に書き送ったがこれは演じきれないのではないかと怯えている。

台詞って、意味がよくわかっていないと本当に覚えても覚えても出てこないところがある。

2~3行台詞を言うたびに、?だと芝居にならない。

台本読んで後悔してるようじゃ、と情けない気分でいる。

三文役者以下なのだから仕方ないのだが。

家内の真似をして、ひと言で言いきって自分を鼓舞しようと考えた。

結局…。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」。

これしか頭に浮かんでこない。

それで、すっかりめげた気持ちでいる。

やっぱり、「馬鹿は死ななきゃ治らない」のかもしれない。












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