短冊小説「希望の残照」

「まぁ、そのうち、チャンスが巡ってくるでしょう。その時は、伊瀬さんのアルバムを必ず出しますよ」

六本木のTスタジオの隣のカフェで、サンミュージックの結城プロデューサーはそう約束してくれた。

ショーゾーは、何度もそう呟いた。

ショーゾーが九州に帰る日、八重洲の硬いベンチに二人並んで座った。

あいつは、呪文のようにその言葉を繰り返した。

あいつが東京に初めて出てきた時、「黒メガネ、黒メガネ」と呼んでいた珍奇なサングラスを頭に乗せていた。

「…黒メガネって。サングラスって言わんかい。おかしかぞ」、俺は何回か注意して言い直させた。

高校の頃から使っている真っ黒なギターケースには、白のペンキで「ISE」と下手な字で描いてある。

その字もあちこち剥がれかかって薄くなっていた。

「いせしょうぞう」、そう、あいつは同姓同名のフォーク歌手が世に出てからおかしくなった。

髪型からヒゲまでなんでもまんまにコピーして、トクトクとしていた。

「いせしょうざ」が戸籍上では正しい読み方なんて、俺しか知らないことだった。

学校時代の先生も友人も皆「しょーぞー」と呼んでいた。

あいつは手広くやっている毛糸屋の跡取り息子だった。

だから、お金には困ってなかった。

そして、シンガーソングライターとしても、まずまずの才能を持っていた。

だから、あいつが猛然と本物の「伊勢正三」の影を追ったのは当然だったかもしれない。

一時期は、「ウォーターメロン」というバンドでレコードも出し、地方公演なんかにも行っていた。

でも、その同じバンドのボーカルの涼子ちゃんに恋してしまった。

ある時、その涼子ちゃんが「にせしょうぞう」と悪口を言っていたのを知った。

彼女はその頃から売れ始め、ソロデビューを果たした。

人気の核をなくしたウォーターメロンはあっさり解散に追い込まれた。

ショーゾーは音楽活動を中断し、九州に帰ることにした。

ショーゾーが提供した楽曲はサンミュージックが買い取った。

ショーゾーは毛糸屋を継ぎ、結婚した。

九州で会うと、あいつは「また、最近、フォークが見直されてきてるよな」と必ず言った。

あいつにとって、希望の光はあの言葉にしかなかった。

一度、涼子ちゃんと結婚した音楽プロデューサーの吉川に誘われて、熊本のライブに出演した。

53歳だったから、実に30年ぶりのステージだった。

その時、あいつは「ニセしょうぞうと言われていた伊瀬です」と自己紹介した。

会場は笑いに包まれたが、ぼくはひとり顔を硬くして聞いていた。

あの時、ショーゾーが諦め始めていることを初めて知った。

あれから12年の歳月が流れた。

6店舗もあった毛糸屋は、時流に乗れず、ついに全店閉鎖になった。

その頃、あいつの体に癌が見つかった。

見舞いに行ったが、あいつは意外にサバサバしていた。

そして、一本のカセットテープを僕にくれた。
   
池袋の俺の下宿で二人で歌っているものだった。

歌詞カードの漢字を読めずにごまかした、とあいつが俺をからかっていた。

20代の頃の光景が蘇った。

俺は、笑いながら泣いた。

あの頃は希望の光が眩しかった。

だから、あいつは黒メガネをかけていたんだと思う。

希望が弱々しい残照だけになった時、あいつはやっと過去と決別した。

ショーゾーの遺影も笑っているのに、どこか悲しそうだった。





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この記事へのコメント

まだこもよ
2013年11月29日 06:00
「同姓同名」・・・そんな方がいらしたんですね・・・知りませんでした。
2013年11月29日 10:28
>あいつは「ニセしょうぞうと言われていた伊瀬です」と自己紹介した。
>ショーゾーが諦め始めていることを初めて知った。
男の哀しさが分ります。
ありますね、笑いを誘って自分の夢をあきらめる。そんな時って。
2013年12月02日 11:07
まだこもよさん、いえいえ、この話はフィクションです。
友人に古瀬くんというのがいますが、そいつあだ名が「ショウゾウ」でした。「小僧」を「ショウゾウ」と読み間違えたからでした。でも、みんながそう呼ぶものだからいつの間にかそっちが本名みたいになったのです。
本名は「あきのぶ」なんですけどね。
2013年12月02日 11:11
What's up?さんも分かるということは、そういう男の哀しさを経験されたのでしょうか?ま、人生はいろいろありますからね。

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