タバコのおなら

あれは、まだ結婚前で、東京の広告代理店に勤めていた頃であった。
友人のFくんに喫茶店に呼び出された。
Fくんはいつになく深刻な表情を浮かべてこう言った。
「実は、オレのおやじがガンで入院した…。余命、長くて半年だそうだ」
後は声を詰まらせて、言葉にならなかった。

Fくんのお父さんは、電子機器メーカーではトップクラスの会社の社長さんであった。
もっとも、すでにこの頃は会長職にあって、一線からは退かれていたと思う。
Fくんの家にあそびにいくと、大きなガラスの灰皿の前で紫煙をくゆらせながら、いろんな話を聞かせてくださった。
気さくな方で、とても競争の激しいこの業界で会社を一流企業にまで押し上げた鬼社長には見えなかった。
吸っている銘柄が一緒ということもあって、タバコを吸いながらずいぶんとおしゃべりを楽しませていただいた。

「おやじがお前に会いたがっている。会ってやってくれないか?」
断る理由は何一つなかった。
「ただな、家族で話しあって、おやじには癌であることを告知しないことにしてある。それだけは、絶対、さとられないで欲しい」

まぁ、この頃は、だいたい告知しないのが当たり前だった。
さんざん、Fくんに念を押されて、代わりの病名を胸に、ぼくは病院に見舞いに行った。
ノックして病室に入ると、会長さんはベッドの上であぐらをかいておられ、嬉しそうに大きく手招きをされた。
「タバコ持ってる?」
「えっ!いいんですか、吸って?」
「そのために来てもらったくらい最初からわかっていたよね。いいから、頂戴」
胸ポケットに入れていたタバコをスッと箱ごと取られたが、ぼくはロケセットに出てきそうな特別室の豪華さに感嘆していた。

「灰皿はここにあるんだ」、そう言って、コーヒー豆の缶を応接わきの棚から出された。
「14時半まで看護婦は来ない。だからね、この時間に来てもらったんだ」
ベッドの上で、実に美味そうにタバコを吸われた。
「わたしの病名、息子から聞いた?」
「あ、聞きました。〇〇だそうですね。よかったじゃないですか、○癌じゃなくって!」
ぼくは精一杯の演技をして、明るく言った。

会長は、タバコの煙を天井に向かってぷっと吹かれて、楽しそうにケラケラ笑われた。
「君は推理小説家にはなれんな。国立がんセンターに入院して、がんじゃないって方が不自然だろ」
「家内も息子も一生懸命演技するから、こっちも言いづらくって騙されたふりしてるけどね」
「まぁ、ごろうくんくらいとは本音で話したいなぁ」

「今度、息子さんに会ったときに本当はどうなんだって聞いときます」
それがぼくの精一杯の抵抗だった。

内心、“あっ…これは完全にさとられてるな…”、そう思った。
変な間が病室に流れた。
その時、ドアがノックされた。
すりガラスに写った影で会長は、誰がノックしたのかがわかったのだろう。

大慌てで、自分の周りの煙を払いのけ、缶の灰皿をベッドの下に隠した。

入室してきたのは、いかにもというような怖そうな婦長さんと可愛い顔の看護婦さんの二人だった。
「ん?Fさん。タバコ吸ったでしょう」
婦長さんが会長の寝衣に鼻を近づけてクンクン嗅いだ。

その時、会長がいきなり大きなおならをした。

`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!


「まっ!」、婦長は目を丸くして飛び退いた。
同時に、「きゃっ!」、かわいい看護婦さんが小さく叫んだ。

一瞬わからなかったが、その看護婦さんの身振りからお尻を触られたのだと思った。

会長はそんな事をしながら、平然とした声でこう言った。

「タバコのおならはタバコ臭い!そうしたものだ」


タバコのおなら?

ぼくは、帰りの電車の中で妙におかしくなって、こらえきれず独り笑いした。

ちなみに、この会長さんはこの後、6年半生きられた。
入院中、若い看護婦さんたちはみんな被害にあったらしい。
若い娘たちは怒っていたが、とうの会長さんはニコニコで絶好調だった。
「触れる時に触っておかないとな。死んだら触りたくっても触れなくなるんだから」

どれくらい入院されていたか憶えてないが、その後海外にも何度か旅行されていた。
オランダとイタリアには愛人がいるという噂も聞いた。
ホントかどうかというより、ぼくは会長のじつにあっけらかんとした生き方に感心した。

Fくんともずいぶん疎遠になってから年賀前のはがきで亡くなられたことを知った。
死因もガンではなく、お風呂で滑っての事故が原因だったという。















ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック