悪役ができない役者はいらない

橋爪功さんという役者さん。

若い頃に、文学座のある有名な演出家にこう言われたそうだ。

「悪役ができない役者なんていらないだろう」って。

人は、あまりに悪いイメージは持たれたくないものだ。

だから、本番の舞台でもそれは起きる。

役をもらっても、それが悪役だと、心のどこかで、本当の自分はいい人です、これはあくまで役の上のことです、という意識が働く。

特に女の子にこの病気が克服できてない俳優さんは多い。

素人劇に出ている大半の役者さんが、最後の一線は守ろうとする。

それがある限り、どんなに演技の勉強に行ったってダイコンのままだ。

“この人はどれくらいできる役者さんか?”を知りたければ、その人がとんでもない悪役をやれるか想像してみればいいだろう。

女優さんであれば、胸のあたりを大きく広げ、春をひさぐ遊女の役ができるかどうか、だ。

美人が売りのわたしにそんな役は、的な雰囲気をまとっている女優さんはたいがいダイコンの方だ。

自分で自分が恥ずかしくなるくらいの悪役になれるのが演技の第一歩だろう。

橋爪功さんはこういう。

「“物分かりの良い上司"なんていう役もけっこう来るんだけど、たまには悪役もやりたいんだ(…)悪役に見えて実際は良い人だった、というんじゃなく、圧倒的に悪い、絶対に側にいてほしくないような人物も演じたいんですよ」と。

演技・芸能のたぐいはすべて、とどのつまり、人間の“業”を再現してみせる芸だと思う。

人間の“業”の深さを軽妙に笑いに置き換えて見せたのが、談志の落語だった。

だから、彼は武器としていた芸論も捨て、恥も捨て、戒名に「雲黒斎」(うんこくさい)を名乗ったのだと思う。

肥溜めに落ちてみて、あざわらわれるところから拾ってくる芸の極意。

「悪役ができない役者なんていらない」。

少なくとも、ぼくは演技をやり始めたころ、この言葉を知っていただけでも大きかったのだといまさらながら思う。


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