「泣き言」

「あさが来た」を見ていて思った。

新次郎さんの「すごさ」である。

新次郎さんは、気分のままに好き勝手に生きてきた人である。

まぁ、多くの場合、いくら金持ちのボンボンでも、こういう生き方は感心されない。

でも、見ていてお感じにならないだろうか?

新次郎さんは、ここにきて、ものすごく魅力的である。

おそらく、もう何回もなく、新次郎さんもあの世へ旅立っていくのだろう。

なのに、どうしてこうも惹きつけるのか…。


「旦那さま、どうか、あたしと病院に行っておくれやす」

「ふん、そやな、ほな、行こか…」


新次郎さんは、われとわが身に降りかかる「老い」や「死」、味覚を失うと言った「病」に対して、決して「泣き言」を言わない。

これがすごいのである。

いずれ来る、死の予感に決して慌てない。

従容として「死」を迎え入れる。

並の男ではできない芸当である。

これを見て、ぼくも「泣き言」を口にしない老年をと思っているが、どうだろうか?

「覚悟」だけは持っておきたいと思っているが、今まで覚悟だけでは、ダメだと何度も思い知らされた。

親父が死の床に就いたとき、慌てまいと「強い覚悟」を持ってみた。

だけど、いざ死の報を受けたときは、意志薄弱なものの覚悟など何の役にも立たないと思った。

母の時もそうだった。

98まで生きてくれたんだから…、そう思うように自分に言い聞かせた。

でも、やはりなくなる瞬間はすべての力をなくした。

ただただ、辛かった。

人生は順繰りだ。

次は、ぼくが子供たちや孫たちにジージらしい「死に際」を見せてあげなくてはいけない。

そう思っている。

「晩年は、お芝居だ、落語だと好き勝手なことをして逝ったのだから…」

みんなにそう思わせたいと思っている。

ここからが人生の仕上げ時になる。

持ち駒を余すところなく使い切って、きれいに詰め上げたい。

そう願っている。











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