短冊小説「最後の上京」
「ね、あなた、これじゃない? お父様の単行本って」
吾朗は、さくらから受け取って大きく頷いた。
「どこにあった?」
「ほのかの中高時代の段ボールを整理していたら、でてきたの…」
水上勉「五番町夕霧楼」。
ずっと探していたのに、決して見つからなかった単行本である。
思いがけない時に出てくる。
それ自体が、何かの兆しなのかもしれぬ。
昭和48年、吾朗の父、倫夫が上京してきたのは、吾朗のいまの年と同じ67歳のときであった。
いま思えば、あれが最後の上京だった。
倫夫はその頃、戦後すぐから始めた開業医を辞め、離島の医師として佐賀県の離れ小島に赴任していた。
盆でも正月でもない春4月に、突然、上京してきたので、吾朗は何事かと思ったものだ。
東京駅の新幹線まで迎えに行って、久しぶりの父を見た時、吾朗は倫夫がひどく小さく見えた。
海軍の軍医だった倫夫は、昔は、とにかく背筋をぴんと張って、怖い父親だった。
「急にね、人探しをしたくてやってきた」
倫夫は、築地のホテルを予約していた。
「オレのアパートに泊まればいいものを」、吾朗は他人行儀な父の行動をやんわり非難した。
「いや、ちょっと済ましておきたい用が築地の方にあったものだから、そうした…」
倫夫は、そのまま築地のそのホテルにチェックインした。
翌日、吾朗も築地に出向き、倫夫と一緒に人探しを手伝った。
「このあたりは空襲ですっかり様子も変わったし、町名番地がまったく違っている」
倫夫の人探しは、困難を極めた。
しかし、たまたま尋ねた戦前からのお米屋さんで、探していた「藤間」の家がわかった。
聞くと、倫夫が海軍少尉の時にこの「藤間」宅に投宿していた時期があったということだった。
先に電話で連絡を入れ、訪ねていくことを告げた。
藤間福子というふくよかな初老の女性が着物姿で出迎えてくれた。
三味線教室の看板が出ていたので、三味線の先生なのだろう。
えらく立派な和室の客間に通された。
藤間福子と倫夫の会話はひどくぎこちなく弾まなかった。
お互いが、言いたいことを全部抑えてしゃべっている、そんな感じだった。
東京大空襲で亡くなったという藤間福子の両親の仏壇の前に倫夫はえらく長く座り込んでいた。
翌日、倫夫は用でいけなかった吾朗を置いて、ひとりで再び訪ねたみたいだった。
その時、どんな会話が交わされたか、吾朗は知る由もない。
しかし、その日の夕食時、来るように言われた小料理屋で、ふたりの打ち解けた様子を見た時、あまりの違いように吾朗は少なからず驚いた。
ふだん、ほとんど呑まない倫夫が福子のお酌で、お猪口を手にしている。
「笑わないでください。ほんとうに、あなたの親父さんが枕元に立って、福子に会ってくれって言うたんです」
「戦後、ずっと気にはしとったんですが、申し訳ありませんでした」
「いやー、これで肩の荷がすっかり下りました」
倫夫はいつになくよくしゃべった。
硬い表情で迎えに出た福子もまた、実ににこやかだった。
「吾朗さん、あなたのお父様は、築地の海軍病院で勉強されていらっしゃって内の離れに下宿されていました。ハンサムな青年士官さんがいるというだけで、わたしは、女学校のお友達にたいそう羨ましがられたんですよ」
福子も倫夫にまけず饒舌であった。
父、倫夫の最後の上京はこうして終わった。
二十一、二だった吾朗にその上京の意味はわからない。
謎のまま残った。
しかし、と思う。
いま、この年になるとわかってくるものがある。
その手がかりが、倫夫が車中読んできたという水上勉の「五番町夕霧楼」だった。
ホテルでページをめくった時、最終頁に鉛筆で、書き込みがあったことだけを憶えていた。
そこには、倫夫の俳句が書いてあった。
「空襲で逝きし吾子に逢う帰り花」
倫夫の秘め事はこうして終わった。
同じ年になった吾朗の中に、許せる自分がいた。
吾朗は、さくらから受け取って大きく頷いた。
「どこにあった?」
「ほのかの中高時代の段ボールを整理していたら、でてきたの…」
水上勉「五番町夕霧楼」。
ずっと探していたのに、決して見つからなかった単行本である。
思いがけない時に出てくる。
それ自体が、何かの兆しなのかもしれぬ。
昭和48年、吾朗の父、倫夫が上京してきたのは、吾朗のいまの年と同じ67歳のときであった。
いま思えば、あれが最後の上京だった。
倫夫はその頃、戦後すぐから始めた開業医を辞め、離島の医師として佐賀県の離れ小島に赴任していた。
盆でも正月でもない春4月に、突然、上京してきたので、吾朗は何事かと思ったものだ。
東京駅の新幹線まで迎えに行って、久しぶりの父を見た時、吾朗は倫夫がひどく小さく見えた。
海軍の軍医だった倫夫は、昔は、とにかく背筋をぴんと張って、怖い父親だった。
「急にね、人探しをしたくてやってきた」
倫夫は、築地のホテルを予約していた。
「オレのアパートに泊まればいいものを」、吾朗は他人行儀な父の行動をやんわり非難した。
「いや、ちょっと済ましておきたい用が築地の方にあったものだから、そうした…」
倫夫は、そのまま築地のそのホテルにチェックインした。
翌日、吾朗も築地に出向き、倫夫と一緒に人探しを手伝った。
「このあたりは空襲ですっかり様子も変わったし、町名番地がまったく違っている」
倫夫の人探しは、困難を極めた。
しかし、たまたま尋ねた戦前からのお米屋さんで、探していた「藤間」の家がわかった。
聞くと、倫夫が海軍少尉の時にこの「藤間」宅に投宿していた時期があったということだった。
先に電話で連絡を入れ、訪ねていくことを告げた。
藤間福子というふくよかな初老の女性が着物姿で出迎えてくれた。
三味線教室の看板が出ていたので、三味線の先生なのだろう。
えらく立派な和室の客間に通された。
藤間福子と倫夫の会話はひどくぎこちなく弾まなかった。
お互いが、言いたいことを全部抑えてしゃべっている、そんな感じだった。
東京大空襲で亡くなったという藤間福子の両親の仏壇の前に倫夫はえらく長く座り込んでいた。
翌日、倫夫は用でいけなかった吾朗を置いて、ひとりで再び訪ねたみたいだった。
その時、どんな会話が交わされたか、吾朗は知る由もない。
しかし、その日の夕食時、来るように言われた小料理屋で、ふたりの打ち解けた様子を見た時、あまりの違いように吾朗は少なからず驚いた。
ふだん、ほとんど呑まない倫夫が福子のお酌で、お猪口を手にしている。
「笑わないでください。ほんとうに、あなたの親父さんが枕元に立って、福子に会ってくれって言うたんです」
「戦後、ずっと気にはしとったんですが、申し訳ありませんでした」
「いやー、これで肩の荷がすっかり下りました」
倫夫はいつになくよくしゃべった。
硬い表情で迎えに出た福子もまた、実ににこやかだった。
「吾朗さん、あなたのお父様は、築地の海軍病院で勉強されていらっしゃって内の離れに下宿されていました。ハンサムな青年士官さんがいるというだけで、わたしは、女学校のお友達にたいそう羨ましがられたんですよ」
福子も倫夫にまけず饒舌であった。
父、倫夫の最後の上京はこうして終わった。
二十一、二だった吾朗にその上京の意味はわからない。
謎のまま残った。
しかし、と思う。
いま、この年になるとわかってくるものがある。
その手がかりが、倫夫が車中読んできたという水上勉の「五番町夕霧楼」だった。
ホテルでページをめくった時、最終頁に鉛筆で、書き込みがあったことだけを憶えていた。
そこには、倫夫の俳句が書いてあった。
「空襲で逝きし吾子に逢う帰り花」
倫夫の秘め事はこうして終わった。
同じ年になった吾朗の中に、許せる自分がいた。

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