詩のボクシング
12日土曜日、「詩のボクシング」岐阜大会に出場した。
37名の参加者で、16名が予選通過、さらに本戦では、全国大会出場者2名が選抜される。
テレビで何度か見ていたので、張り切って出かけた。
ところが、結果は、あえなく予選敗退。
朗読を教えている立場としては、かなり痛い結果となった。
3つ用意した詩の選択を間違えたかもしれない。
そんな悔いが頭をかすめた。
でも、予選通過者を見て、“あ、これは…”と思わざるを得なかった。
なんというか流儀が違いすぎる。
早口で何言ってるか分からない若者や、それを詩というのかというものが相当数、選ばれていた。
詩はともかく、朗読スタイルに関しては、選考した方は、あまりに普段聞きなれておられるためか、ストライクゾーンが恐ろしく広かった。
怒りの早口ばかりか、ささやくようなものや歌うのまでセーフだった。
それは、ぼくの中では朗読のジャンルではない。
選考の価値観が違うとどうにもならない。
ま、そんなこと言ったって、負け犬の遠吠えでしかない。
負けは負けである。
ただ、ちょっと思ったのは、ぼくの理想とする、求めてやまない朗読スタイルはすでに古臭いのかもしれない。
そんなことを感じた。
会場に、町の劇でご一緒したいっちーやなおきさん、しろちゃんなどがいた。
いっちーも面白いと思ってた子が、かなり落ちてたという話をしていたが、感想としては一緒だった。
それでだいぶ気持ちが落ち着いた。
本戦の全員を聞いて、会場を後にした。
本戦では、観客も赤、青のジャッジの紙を上げる。
でも、流儀が違うとジャッジも違う。
「エー、そうか」ということが重なると、どんどん興味が失せた。
中途で帰るといういっちーを駅まで送って家に帰ると、昨日から長女のところに行っていた家内が帰っていた。
なんだか久しぶりに感じた。
孫たちは、初の野外キャンプで大いに活躍したようで、その時の写真を見せてもらった。
男の子は日増しにたくましくなっていく。
昨日は、それぞれがそれぞれで、全員いろいろ語りたいことがたくさんある、そんな日になった。
それも幸せのひとつのカタチなんだろうと思う。
37名の参加者で、16名が予選通過、さらに本戦では、全国大会出場者2名が選抜される。
テレビで何度か見ていたので、張り切って出かけた。
ところが、結果は、あえなく予選敗退。
朗読を教えている立場としては、かなり痛い結果となった。
3つ用意した詩の選択を間違えたかもしれない。
そんな悔いが頭をかすめた。
でも、予選通過者を見て、“あ、これは…”と思わざるを得なかった。
なんというか流儀が違いすぎる。
早口で何言ってるか分からない若者や、それを詩というのかというものが相当数、選ばれていた。
詩はともかく、朗読スタイルに関しては、選考した方は、あまりに普段聞きなれておられるためか、ストライクゾーンが恐ろしく広かった。
怒りの早口ばかりか、ささやくようなものや歌うのまでセーフだった。
それは、ぼくの中では朗読のジャンルではない。
選考の価値観が違うとどうにもならない。
ま、そんなこと言ったって、負け犬の遠吠えでしかない。
負けは負けである。
ただ、ちょっと思ったのは、ぼくの理想とする、求めてやまない朗読スタイルはすでに古臭いのかもしれない。
そんなことを感じた。
会場に、町の劇でご一緒したいっちーやなおきさん、しろちゃんなどがいた。
いっちーも面白いと思ってた子が、かなり落ちてたという話をしていたが、感想としては一緒だった。
それでだいぶ気持ちが落ち着いた。
本戦の全員を聞いて、会場を後にした。
本戦では、観客も赤、青のジャッジの紙を上げる。
でも、流儀が違うとジャッジも違う。
「エー、そうか」ということが重なると、どんどん興味が失せた。
中途で帰るといういっちーを駅まで送って家に帰ると、昨日から長女のところに行っていた家内が帰っていた。
なんだか久しぶりに感じた。
孫たちは、初の野外キャンプで大いに活躍したようで、その時の写真を見せてもらった。
男の子は日増しにたくましくなっていく。
昨日は、それぞれがそれぞれで、全員いろいろ語りたいことがたくさんある、そんな日になった。
それも幸せのひとつのカタチなんだろうと思う。


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