禍福はあざなえる縄のごとく

ぼくの近所に大きなシェパードを飼っていらっしゃったMさんという方がいた。

そのMさんが、ぼくにこのことわざを教えてこうおっしゃった。

「戦争に負けた時、日本はどん底に落ちた。有能な若者がたくさん死んだ。未来への希望なんて持てるはずもなかった」

「でも、今じゃ、日本は戦争に負けてよかった、つくづくそう思う」、とこうおっしゃる。

Mさんは、予科練から回天の訓練を受けていた人だった。

ご自宅に行くと、玄関に旭日旗が飾ってあった。

同じ海軍の父に言わせると、「Mさんは今の中学生の頃から軍人精神をたたき込まれたから、頭が固い固い」だった。

戦後の軍人会ではリベラルな海軍思想の父とよく意見が対立したらしい。

だから、そんな人の口からこんな言葉を聞こうとは思いもしなかった。

Mさんはちょっと天の邪鬼なところがあったのかもしれないが、逆逆なことを言われた。

キューバ危機が起こった時も「これでいい、これでいい」と。

「核戦争?起こりませんよ。自分も怖いもの」。

「いや、一度はここまで来ないと手打ちはできない」。

「国がね、戦争を始める時は、こんな始め方は普通しないものだ。もっと陰険なところから始める」。

Mさんは西鉄ファンだったが、大勝ちすると機嫌が良くなかった。

大勝ちくらいつまらないものはない。

まだ、大負けの方がいいとこうおっしゃる。

ある時、西鉄が大勝ちした後、「こんな試合をするとそのうち連敗する」と言ったら本当に何連敗かしたことがあった。

あべ自民党が大勝して、日本が戦争をする国になるのではないかという懸念が拡がっている。

ぼくはこういう論調を新聞に見るたびにMさんを思い浮かべる。

Mさんならきっとこう言うだろう。

「大勝ちしたら碌なことはない。自民党危うしやな」

そして、

「でも、陰険なところから始めるところを見ると、ほんとに戦争する国にするかもしれんな」と。

Mさんは子どもたちに剣道を教えていた。

ぼくも一時期習いに行っていた。

寒稽古の時などは「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠れの教えを説かれた。

日本国民として、いざという時は命を投げ出す勇気を持てともいわれた。

そういう話をすると、父は機嫌がよくなかった。

「死んでいった連中は本当に可哀想だった」。

父もMさんも同じことを言っていたが、思うところは大きく違っていたのだろう。

さて、さて、今後の日本。

もう一度、塗炭の苦しみを味わうところまで行きついて、目覚めるしかないのだろうか?

日本国民はそこまでバカではない。

ぼくはそう思う。





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