フェスタ論

“おバカお化け”のフェスタ。

初代はあやのさんだったが、体調不良からグッチーことひとめっちになったいわく因縁つきの役である。

実は、改稿作業を進めるうえで、イの一番にばっさり切ったのがフェスタが絡むシーンであった。

お化けを切っていいことがあろうはずもない。

ぼくは、何度となくこのフェスタさんの稿をいじらされる羽目になった。

結局、本来は講釈師にする予定の舞台回しの稿はすべてフェスタに入れ替わって復活した。

しかし、いきなり、一人で観客に向かって前説に近い口上を言いつつ、観客の気を集めなければならない役柄である。

西森塾で「多分、一番難しい」と言われた“第4の輪”だ。

正直、あの芸達者なあやのさんですら当初、苦戦しそうな雰囲気であった。

途中交替したひとめっちは、仕事の関係で稽古にもなかなか参加できず、小澤先生に見てもらうことも数えるほどだった。

にもかかわらず、ひとめちゃんはこの難局を持ち前の勢いで乗り切って見せてくれた。

第1回目の公演が始まって、上手袖から彼女の大きな声が響いてきた時、観客の気を十二分につかんでいる様子がしっかり伝わってきた。

ぼくは思わず下手で袖幕ににじり寄り、じっとその様子をうかがった。

ぼくは、同じ劇団のボレッチの様子を見学に来ただけの彼女を、ほぼ無理やりこの劇に引っ張り込んだ、その想いが交錯して手を合わせたい気分で耳を傾け続けた。

ほんとうにありがたかった。

思うに総決算的に言えば、今回の「十二夜」の成功は、劇団ひとめぼれの二人の力に負うところ大である。

カラオケだって、挨拶だって、一番は大変である。プレッシャーがかかる。

まして一人で、観客に向かっていかなければならないとなるとその勇気は半端ない。

大したことはないというものがいたら、自分がやってみればいい。

大概の人間がひるむ。一歩、踏み込んでまではやれない。

つまり、ひとめっちの突破力のお陰で、劇場の気は一気に流れ始めたと言って過言ではない。

誰でも彼でもできる芸当ではない。

ぼくはカーテンコールの時、ひとめっちがこっちに元気よく歩いてくる姿が目に焼き付いて消えない。

そのたびに心の中で、“ありがとう…”と言いたくなる。

まぁ、しかし、たとえ涙を絞るような思いを語っても、あの子は“げへへへ”と下品(?)に笑っておしまいだろう。

それがまた彼女のいいところでもある。



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