生きるということ

先日、偶然、昔仕事をしたカメラマンとひょんな所であった。
どうだろう20数年振り、いやもっとになるかも知れない。
お互い、年をとったから、最初はにわかに判らずにいたのだが、名刺を見て二人が同時に“あっ!”と叫んだ。
じっと見ると、昔の面影が浮かんでくるのだが、髪の白さと丸くなった輪郭でどう見たって別人にしか見えない。
心の中でそう思っていたら、向こうから先に、“いやー、ずいぶん、お顔とかお腹とかに貫禄がつかれたので、わかりませんでした。だって、昔は、どっちかというと痩せていらっしゃったですものね”と言われてしまった。

彼は、若い頃は少年隊の植草くんに似たハンサムだった。
K君というもう一人のカメラマンと一緒に共同で写真スタジオを開いていた。

しかし、そのK君がひどい追突事故を起こしてしまう。
助手席にいたK君の彼女は、フロントガラスから上半身が飛び出し、顔と上半身に大怪我を負った。
婚約までしていたのに、K君は彼女を捨ててどこかへ身を隠してしまったのである。

彼は、悲嘆にくれる彼女を励まし続け、ついには結婚した。
そして、一男一女を授かった。

もともと明るい性格の彼女だったので、無残なほどにケロイド化した顔になってもよく笑ってくれた。
スタジオで撮影するたびに彼女の明るい応対でどれほど助けられたか知れない。
その彼女が、3年ほど前、事故の後遺症の脳障害から今ではほぼ寝たきりになっているという話を聞かされた。
右手は親指しか動かないらしい。

“残存能力が残っている限り、彼女はがんばろうとする。本当に、頭がさがる”と彼はてらいもなく言い切った。

生きるということは、なぜこうも辛く重いのであろうか?
ぼくは、彼らに比べると、その100分の1もつらい目に遭っていないと思う。
それが、いいことかどうかよく分からない。
ただ、その分、本来学ぶべき人生の何たるかの何も学んでいないのではないかと思う。

彼の話を聞いてから、ここ数日、ずっと何かを考え込んでいる。

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