半藤一利氏逝去

いよいよ昭和は遠くなりにけりですね。
昭和史の第一人者、半藤一利氏がお亡くなりになりました。
まことに残念です。
ぼくもずいぶんこの方の著作は読ませていただきました。
司馬遼太郎の次に多く読んだ方かも知れません。
まぁ、この二人によって、日本の昭和史、ことに太平洋戦争への反省は完成したように感じます。
でもぼくは、司馬さんも半藤さんも立ち位置は決して左翼的ではなかったと思っています。
無茶苦茶な戦争体験を強いられた反発はあったとは思いますが。
昨日もニュースを見ていたら、菅さんが「政府としては、全力を挙げてこれに当たっていくべく…」などとおっしゃっていました。
政治家の常套句とは思いつつ、政府の「全力」なんてホント、成績の上がらない生徒さんが「僕、頑張ってます」というのに近いと感じる。
成績の上がらない子は、おおむね勉強全体での自己評価というのか判断基準が相当甘い。
できる子は、10問中間違った1問を悔しがるのだが、できない子は、たった一つできた1問に「オレ、天才」などと口走っていることが多い。
宿題も、できる子はさっさと済ませて、もう次の課題に進んでそこまでやってくる。
できない子は、まだ3ページくらいしかやれてないのに、自分ではすごく頑張ってると主張する。
さて、いまの政府はできる子タイプだろうか、できない子タイプだろうか?
そういう意味では、太平洋戦争というのは日本人が国のためにとそれこそ全力を挙げて戦った結果だったに違いない。
命を懸けて、一丸で戦ってもこのざまかという絶望感は大変なものだったに違いない。
半藤さんも司馬さんもその悔やみと慚愧の念は終生、抱えていらっしゃったのだと感じられてならない。
それだけの犠牲を払って、ようやく日本人は目覚め、さらなる愚か者にならずに済んだのかもしれない。
思いあがるといずれ神の制裁を受ける。
半藤さんの昭和史などを読んでいると、そう思うのだがどうなのだろう?
この記事へのコメント
わざわざ既成概念を作らなくても、ちょっとしたことで、たったのワンワードで評価基準は180度違ったりするからです。
例えば菅さんが、福岡県と静岡県を言い間違えただけで、あぁこの人はダメな部類の宰相かもしれない、と思いました。
まして、未曽有をみぞうゆうなどと読む人はおよそ一国のリーダーたり得ないと落胆の極みを感じました。
もっとも、ぼくが誰をどう思おうとも、さざ波も起きませんからどうってことないんですけどね。(笑)
長岡かぁ。
まだ雪深いでしょうね。
行ってみたい町なんですけど。
川合継之助と山本五十六、ですよね。