浪花千栄子さん

「おちょやん」のモデルになった方、浪花千栄子さん。
ぼくは、小学生から中学生くらいの間、この方の看板をほぼ毎日見て過ごしました。
近所に、健ちゃんという同級生が住んでいて、そのお隣に、ホーロー看板と言うんですか、A4くらいの鉄板の看板が壁に貼り付けてありました。
「浪花千栄子さん」のオロナイン軟膏と「ボンカレー」でしたか、麦わら屋根と土壁の家にあったのです。
ま、すぐ目の前を鉄道が通っていましたから、広告効果的にはよかったのでしょうが、まぁ、ミスマッチな感じでした。
でも、昭和30年代くらいですと、ホーロー看板は、普通によく見かけました。
確か、お隣の薬屋さん、近所のタバコ屋さんの壁にも貼ってありました。
もっとも、娘たちやお婿さんたちに聞いたら、全員、「浪花千栄子」は知りませんでした。
40代だと徳川時代と同じくらい遠い昔のことなんでしょう。
もちろん、花菱アチャコと言ってもわかりますまいなぁ。
伴淳さんとの「二等兵物語」とか、映画館で腹を抱えて笑ってました。
ぼくにとっては、浪花千栄子とアチャコさんは、セットで思い出すのですけれどね。
昭和は、遠くなりにけりですね。
この記事へのコメント
アチャコ、キートン、エノケン、みんななつかしいですね。
昔は、コメディアンとは言わず、喜劇役者って言ってましたよね。
東京都知事じゃないのですから、何でもかんでも横文字にしなくていいじゃないですかねぇ…!!!
たまたまです。
くびき野さんにそういうこと言われると、関西人シリーズで引っ張らなきゃいけないのかなぁって、意識するじゃないですか。
くびき野さんは、何ら思っていらっしゃらないでしょうが、ぼくにとっては権威筋の発言になってますからね。
それが証拠に、くびき野さんがコメで上げた芸能人は、だいたい新規に描き足していってますでしょ?
とにかく、昭和の役者さんだけはわかりますのでドラマで勉強します。
喜劇系が多かったと思いますが、普通の主婦役とかもこなしていらっしゃいましたよね。
BSの深夜かに、あの頃の映画をやっていましたが、テンポがぬるくって見てられませんでした。
おちょやんがこの人をモデルにしてるってのは最近知りました。
愛知の両親の在所にも
ホーロー看板
ありました、ありました。
40代なりたてくらいだと知らないんですね。
ら。さんはご存知。
ということは、ぼくの方に近い?(笑)