江川卓氏
昔、言いました。
「江川、ピーマン、北の湖」。
「巨人、大鵬、卵焼き」の嫌いバージョンで。
ぼくも大学の後輩でありながら、嫌いでした。
ピーマンも北の湖も嫌いでしたから、よく覚えております。
彼の「空白の一日」トレードでタイガースに行った小林の方を気の毒に思い、ずっと応援していました。
「空白の一日」、ああしたこすいことを考える巨人が嫌いでしたし、それに乗った江川も嫌いでした。
神の采配である運命を、現実の手段で変えようとする男をぼくは信用しません。
でも、この前梅津の初登板初先発記録を調べようとみていましたら、彼の記録が出てきました。
それを読んでいて、改めてすごいピッチャーだったんだなと感心した次第でした。
ぼくは野球は、バッターよりピッチャーが圧倒的に有利だと思っています。
メジャーでもシーズン最高打率は、3割4分くらいです。
どんなスラッガーでも100回打って、66回は打てないのですから。
あの狭いホームベースを通過する球が打てない。
ドラゴンズに毎年、軽く15勝以上してくれるピッチャーが2人いたらと思います。
ドラゴンズに怪物よ来たれ。
そう願っています。
この記事へのコメント
アメリカで1年浪人してかえってきて江川君のお母さんからお土産にサインの入った色紙とカルホルニアグレープフルーツをいただきました、色紙には正式に入団決定前でしたが『読売巨人軍 江川卓』とありました。お母さんは気さくないい人でした。色紙は甥っ子にやってどうなったかです
ところで江川に巨人の監督の声がかからないのはやはりあのイメージがあるのでしょうかねぇ。
凄いご縁ではないですか。
やっぱり、こういうことがあるから「嫌い」とか書くものじゃありませんね。
反省しております。
お母様が気さくないい方でしたら、きっとご本人もいい方でしょうね。
監督?
巨人軍は有資格者がゴロゴロいますからね。
なかなか狭き門ではないでしょうか。
本当のすごさを知ったのはそれから随分と後になりますけど
すごくうれしかったのを覚えてます
その後の法政時代
植松、金光、佃とかの時代は法政面白かったですよね
江川フィーバーで異例の神宮球場外野席開放
観に行きましたもん
もちろんプロ時代は大っ嫌いでした。
植松君とは昔野球したことがあるんですよ。
遊びみたいな試合でしたけど。
東大の連中とチームを作って。
ぼくは、3打席1安打でした。
ライトにクリーンヒットを打ちました。
植松君というと、それを思い出します。