クマちゃんの死
今日、久しぶりにNHKの外郭で一緒に仕事をしていたYさんから電話をもらった。
「久しぶり…、元気にしてた?…どうしたの?」
「実は、さ、H君が昨日亡くなったから電話した…!」
「え、どういうこと?」
「彼、2か月くらい前に、腎臓で入院してたんだけど、ダメだったみたい」
デザインプロダクションの社長をしていた。
ぼくは、その容貌から“クマちゃん”と呼んでいた。
電話をすると、いつも「あ、これは、先生ですか?」と慇懃な感じで出てきた。
ぼくが、広告代理店で名古屋支社に赴任を命じられ、最初の新規プロダクションが彼の会社だった。
最初の出会いは、彼が作品集をもってきて、売り込みに来たのだった。
それを見て、ぼくは息をのんだ。
ぼくもグラフィックデザイナーとしてはそこそこだと思っていたが、衝撃を受けた。
こういうのをプロの仕事って言うんだろうな、と思った。
ぼくが32歳。クマちゃんが28歳の時だ。
お互い若かった。
大喧嘩もした。
いい仕事もした。
トヨタのチャイルドシート、アイクリのマスコット・デザインや瑞浪のデスモ君のキャラクターデザインなどをやった。
すべて懐かしい。
ここ数年、そのうち遊びに行くわと言いながら、とうとう会えずじまいで終わった。
お通夜は、碧南の方で行われたから、電車で出かけて行ったのだが、遠かった。
また一人、親しくしていた友を失った。
64歳、若すぎるだろう。
でも、これからは、自分も含めて、どんどん、こういうことが多くなるのであろう。
あの頃の知人がみな頭が真っ白、もしくはツルリンになっていた。
30年の歳月は、若者をみな老人に変えていた。
生、老、病、死。
逃れられない運命がある。
一人くらい老いない、死なない人間がいたっていいじゃない。
今日は、そう思っている。
「久しぶり…、元気にしてた?…どうしたの?」
「実は、さ、H君が昨日亡くなったから電話した…!」
「え、どういうこと?」
「彼、2か月くらい前に、腎臓で入院してたんだけど、ダメだったみたい」
デザインプロダクションの社長をしていた。
ぼくは、その容貌から“クマちゃん”と呼んでいた。
電話をすると、いつも「あ、これは、先生ですか?」と慇懃な感じで出てきた。
ぼくが、広告代理店で名古屋支社に赴任を命じられ、最初の新規プロダクションが彼の会社だった。
最初の出会いは、彼が作品集をもってきて、売り込みに来たのだった。
それを見て、ぼくは息をのんだ。
ぼくもグラフィックデザイナーとしてはそこそこだと思っていたが、衝撃を受けた。
こういうのをプロの仕事って言うんだろうな、と思った。
ぼくが32歳。クマちゃんが28歳の時だ。
お互い若かった。
大喧嘩もした。
いい仕事もした。
トヨタのチャイルドシート、アイクリのマスコット・デザインや瑞浪のデスモ君のキャラクターデザインなどをやった。
すべて懐かしい。
ここ数年、そのうち遊びに行くわと言いながら、とうとう会えずじまいで終わった。
お通夜は、碧南の方で行われたから、電車で出かけて行ったのだが、遠かった。
また一人、親しくしていた友を失った。
64歳、若すぎるだろう。
でも、これからは、自分も含めて、どんどん、こういうことが多くなるのであろう。
あの頃の知人がみな頭が真っ白、もしくはツルリンになっていた。
30年の歳月は、若者をみな老人に変えていた。
生、老、病、死。
逃れられない運命がある。
一人くらい老いない、死なない人間がいたっていいじゃない。
今日は、そう思っている。
この記事へのコメント
残された時間を精いっぱい生きたいですね。
おきたかったって思う事あります。
誰もが、人生いつまでって分かりません
からね。
定期的な交流、声を掛けてもらったら
出かける等ホンマ必要ですね。
真っ白にツルリン、年月の経過がよく
分かる現象ですね(^_^;)
先のコメ返事が漏れまして、すみませんでした。
>身内の死も応えますが、同じ年代の友人の死は応えますよね。
ここのところ、二つ同時に味わったような感じで、けっこう堪えてます。
確かに、クマちゃんは戦友の一人でした。
ともに理想があればこそぶつかることも多くありましたが。
>残された時間を精いっぱい生きたいですね。
ほんとうに、そう思います。
まだまだ向こうに行くには早すぎると思います。
彼も病気してから、急激に「老い」ましたね。
頬が病的にこけ、豊かだった髭が真っ白になっていましたから。
確かに、他人にはわからない人生が陰にあったのかもしれません。
今度のお通夜に出て、彼には彼を取り巻く多くの人がいたんだなって改めて思いました。
当たり前のことですが、ほとんどの方を知らない。
まだ、ぼくは60代。
まだまだ老いてはいけないと思いました。
でも、歳月は流れ行く。元気な今を大事にしなければと思います。