ブログを綴るわけ

いま、秋にやる予定の朗読劇の台本を書いている。

GW中に作ってしまおうと焦って、キーボードを叩いているがなかなか進まない。

二つ予定していて、一つが「高村光太郎」。こっちはあらかた書けた。

もうひとつが「たとえば君」という河野裕子・永田和宏という歌人夫婦の本である。

昨日の夜、この本の文章をリライトしていて、ふと思った。

まずは、その文章をお読みいただきたい。

『家』という歌集を出した時に永田が、どういう話か忘れましたが、「おまえはこんなに淋しかったのか」って言ったんです。それが忘れられなくって。
うちの夫婦はわたしが何でも喋るんです。永田が帰ってくるとトイレまでついていって、外から喋る。あったことも思ったことも全部。これだけ話して来て、いつもいつもくっついてきた夫婦で淋しさなんて一番わかっているはずなのに、「おまえはこんなに淋しかったのか」って言われて、短歌というのは、生身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない、言えない感じというのを読みあっていく詩型なんだなぁと改めて思いました。
家族の仲がいい、と言いますが、それはそのレベルでのお話であって、表現をしたときの心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。
そういう表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、永田のひと言で思いました。わかってくれる読者が一人いればいいんです。
                          河野(かわの)裕子(ゆうこ)「合歓」21号 平成14年6月より


ブログをなぜ綴るのか?

長く、ぼくの心の中でくすぶっている疑問のひとつがこれであった。

そして、これを読んで「そうか」と思った次第である。

>表現をしたときの心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。
そういう表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、永田のひと言で思いました。わかってくれる読者が一人いればいいんです。


ここの歌を「ブログ」に置き換え、短歌という詩型を「ブログ仲間」に置き換えてみるとスンナリ胃の腑に落ちる。

確かに、ちょっとした言い回しやコメントのつけ方などで「心の底の深み」を知ることができるし、「表現する者同士の心の通い合わせ方」についてはまさに一緒だろう。

そう、そして、「わかってくれる読者が一人いればいいんです」。

知性とか教養とかは一定のレベルとか同じ思考経路とかがあって、あまりに違うと同じ日本語でも思考になじまない。

面白がるポイントが一緒じゃないと読み進めない。

その点では、どっちにしろ大したことが書いてあるわけではないので、「わかってくれる読者が一人いればいいんです」。

その意味において、やはりコメントをつけてくださるお仲間は得難く、極めて大事だと思うのである。



ところで、今日、5月5日は、亡くなった母の誕生日であった。

今日まで生きてくれていれば、99歳、白寿であった。

わずかひと月、寿命が足りなかった。

ひと月なんてあっという間なのに母には遠かったのだろう。

来週には49日法要である。









ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 7

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
かわいい

この記事へのコメント

小枝
2015年05月05日 16:17
わたくしの母は3月3日生まれ。
生けてくれておれば
今年の雛祭りで
同じく白寿を迎えていました。

お知り合いのお義母様が亡くなられ
今度の日曜に四十九日の法要を
いとなまれます。

残されたお義父様をめぐり
ご主人と義妹さんが
仲違いされてしまわれたと…
つらいお立場で懸命に
その方はお義父様を看ておいでです。

親と呼べる人はすべて失いましたが
自分の辿ってきた道程
そこに標された足跡をみて
娘もまた人の子の親になる背景を
背負ったこの春…

わたくしはまだブログ開設から
2年しか経ていませんが
非常に有意義なこの空間に在って
話題の共感・時間の共有は
とても貴重なものとなっています。

今後も心のアンテナの方向性
感度をメンテナンスしつつ
晩節を謳歌して参りたいと思っています。
ごろーさんのご活躍に刺激を受けながら
さて、
私も若い頃を思いだし詩の朗読を
してみようかしら?と…(笑)

2015年05月05日 16:56
昔から文章を書くのに苦労したことが無いような…?でも高校を卒業してから…自分の書いた文章を人様に見せる機会はゼロだった。で…ひょんな事からブログと出会い ブログを書くようになり(書け書けと言われた!笑)そして兄さんと出会った!文章を書くのが好きになったのは 兄さんとの「出会い」のためだったのかもしれませんね!(パソコンを買ったのも?)たくさん…でも無いけど…すばらしいブログ友達にも出会えたブログに感謝ですね。 99歳にもう少しだったけど…その少しの時間の「大切さ」を教えてくれたのではないのでしょうか?
2015年05月05日 19:58
早速に小枝さんとこもちゃんの二人からコメントをいただいて、感激しています。
小枝さんにはぼくの方が多く刺激を受けていると思います。
これからもご指導よろしくお願いいたします。
そして、ぜひ小枝さんの朗読をお聞かせください。
楽しみにしております。
2015年05月05日 20:04
>99歳にもう少しだったけど…その少しの時間の「大切さ」を教えてくれたのではないのでしょうか?
いいこと言ってくれるじゃない。
本当にその通りだね。
それにしても、こも弟とは、何か共通点が多いですよね。
でも、熱心なファンが多いのはこも弟の方だな。
みんな楽しみに待ってくれているブログって意外にないと思う。
そういう皆さん、大事、大事。
あだや疎かにすべきではない。
2015年05月06日 09:57
ごろーさんは文章とか、日本語の大切さを知っていて、本当にいい詩や文章を書いておられます。うらやましい。
私は根が技術系ですので、記録したり、整理するような文ばかりになってしまいます。 今でも箇条書きで書くと整理できたような気分になります。
2015年05月06日 11:02
備忘録、時には雑記帳
勝手気ままな日記で始めたブログも
ヒトとのつながりが欠かせないものとなって今日に至ってるひとりとしてごろーさんの気持ちはよくわかります

一通のコメントがどんなに嬉しく励みで糧になってるか
それがちょっとでもわかってるつもりなので
ごろーさんのところへもこうして来たくなるんです
考えてることは同じです
2015年05月06日 16:36
What's up?さんとらん太郎さん。
ぼくが最も苦手とする陰の努力がちゃんとできる方たちおふたりです。
実はとても尊敬しています。
What's up?さんのたゆまぬ英語への鍛錬は、本当に頭は下がります。
正直、つめの垢を煎じて飲まさせていただきたい。
技術系の方って、こういうコツコツ努力することが自然にできる体質を持っていらっしゃるのでしょうかね。
ぼくは、小さい頃からそれがまったくダメ。
わかってはいるんですけど、できない。
努力の女に又くらいでもやれていたら、もうちょっとましなジジイになれていたと思うんですがね。
2015年05月06日 16:47
>一通のコメントがどんなに嬉しく励みで糧になってるか
らん太郎さんは、礼儀正しい社会人って感じですよね。
ドラゴンズファンには珍しいタイプかも。
多くのドラファンはぼくと一緒で、いい時はガンガン行け行けタイプで、負けが込み出すとドアラさえ見たくなくなる。
まぁ、ひと言でいうと理知的なファン、まじめに支えるファンは少ない。
らん太郎さんはその意味でも希少価値の高いファンでしょう。
ここでもぼくみたいな人間は掃いて捨てる方で、球団的にも歓迎されないタイプですね。
「まじめにやれ~~」って叫んでるお前がもっとまじめにやれ!なんです。

この記事へのトラックバック