短冊小説「開封されていない封書」

木彫作家の修二は展覧会場で突然声をかけられた。

「お久しぶりです。鈴村分家の方の吟一です。覚えていらっしゃいますか?」

自分とほぼ同年齢の老人だった。

とっさには思いつかなかったが、目を見ているうちに特徴あるたれ目で思い出した。

「あー、紳四郎叔父さんのところの…吟ちゃん。いや、いや、何年ぶりでしょう」

そうあの時、いとこの吟一と会わなかったら、それは思い出すこともなかったかもしれない。

修二が父親の蔵書の中に開封されていないままの封書が挟み込まれているのを見つけたのは、20年ほど前の40代半ばの時だった。

父源蔵がわざわざそんなところに秘匿したのは重い何かがあったに違いなかった。

修二がそのまま開封せずに蔵書の中に戻したのは、その頃はまだ生存していた母親にその内密の存在を知られたくなかった、そんな遠慮があったからだろう。

差出人は、源蔵の5歳下の妹、貞子の夫だった鈴村廉三郎。

日時は、その廉三郎が自殺した当日の朝に投函されたものであった。

中身が遺書であることは明々白々であった。

おそらく、父源蔵もそう思って開封しなかったのであろう。

すでに、その時には貞子はこの世にはいない。

おそらくだが、いまさら何を言い残されたところで、という思いだったのだろう。

しかし、鈴村廉三郎は源蔵一家にとっては、まさに希望の星、そんな時期があったのである。

源蔵と鈴村廉三郎の出会いは、ともに海軍軍医であった昭和19年にさかのぼる。

貞子もまた、終戦の年に女学校を卒業したばかりだった。

若く、健康な貞子は、少しおっちょこちょいで近所の皆さんにも慕われていた。

復員して、佐伯総合病院の院長に着任した源蔵が、若く優秀な医師であった廉三郎と貞子との縁談を急いだのには、自分の後任を押さえておく、そんな理由もあったのだろう。

廉三郎もまた、高等女学校を首席で卒業した貞子の聡明さに惹かれていた。

文句のあろうはずがなかった。

美男美女、将来を嘱望される医師に賢夫人、人も羨むエリート夫婦の誕生であった。

しかし、悪運を司る神はこうした夫婦にこそ触手を伸ばす。

神がこの二人に授けた女の子は、ダウン症であった。

昭和30年代にダウン症の子を育てることは、大変な労苦を伴った。

今と違い、世間は氷のように冷たくこの親子に接した。

貞子は、徐々に髪ふり乱し、徐々に神経を病んで行った。

廉三郎もまた、徐々にその生活を乱して行った。

そして、看護婦と駆け落ちし身を隠したことで、ついに離婚に至ったのであった。

貞子はその後、心臓病を併発したダウン症のわが子がまだ8歳で旅立った翌年、追うようにしてこの世を去った。

昭和42年、春の雪が舞う2月のことであった。

源蔵が妹を自殺にまで追い込んだ廉三郎からの遺書を開けようとしなかった気持ちもわからないでもない。

もっとも、廉三郎も、後年は肺の病に侵され、生活保護を受けるまでに困窮していたらしい。

修二は吟一から、そんな話を聞かされた。

実は、修二は、貞子おばさんが自殺だったということも吟一の話でこの時初めて知ったのであった。

修二は、あの時、開封されないままの封書を蔵書に戻して、20年もの歳月が流れたことを改めて思い知った。

もう誰一人として、この遺書を読んで困るものは生存していなかった。

戦前の医学書は重い。

人工皮革のカバーに、金の箔押し文字で題名の書いてある本を手に取った。

手紙は、20年前と同じようにすべり落ちた。

修二は、そっとハサミをあて、この封を切った。

遺書は、長い歳月を感じさせない黄白色の便せんに太い万年筆で綴られていた。

「院長からの金銭支援のお申し出をお断りしたのは、ぼくの自尊心とかが理由ではありませんでした。

ぼくは貞子が、生来の病気を持って生まれたわが子可愛さに世間を恨み、謂れのない権利を声高に口にする姿が許せませんでした。

貞子を死に追いやったのは、ぼくのこうした態度だったと今は痛切に思っております。

ですから、ぼくも弱者になった自分に情けをかけてもらうのは出来ないことなのです。

情けをかけられる、それだけでもまさに情けない仕儀そのものです。

まして、弱者が自ら権利を主張するのは、実にみっともない。

ぼくは、そう思っています。

自分で自分の命に手をかけるのも、もはや恢復の希望は断たれ、意味なき経費を残すだけだからです。

弱い奴とどうかお笑いください。

なお、美佐子は、院長と道ならぬ関係を結んで以来、ずっと院長が心の中に棲み続けているようです。

妻を死に追いやった男に与えられた女です。

ぼくは、甘んじてその試練も受け入れて参りました。

死を前にそれもわが身の招いた運命と諦めておりますが、院長はそのまま捨て置かれるのでしょうか?

それだけがどうしても言いたく、かような手紙を綴ってしまいました」

そう書いてあった。

修二の中であらゆる疑問がすべてつながった。

鈴村廉三郎は、悲惨な現実を拒否し、エリート海軍士官としての誇りの中に生き続けようとしたに違いない。

一方、父源蔵はどこまでも現実的に生きようとした。

その違いであった。

35年近い歳月を経て、空中に舞った重い言霊がそこにあった。

修二は、便せんを封筒に戻して大きくため息をついた。

外には、みぞれ交じりの中で重い春の雪が、しきりに舞っていた。

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この記事へのコメント

つねさん
2015年05月07日 06:13
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