短冊小説「婦長の口癖」

「ひょえーーーー!」、若い研究員野口がそう言って大仰に天を仰いだ。

「いや、ほんとうなんだよ。あの多田としえという婦長さんがオレをこの世に戻してくれたんだよ」

そう語っていたのは、ここの研究開発室室長の大野である。

大野の胃がんが発見されたのは春先に行われた健康診断だった。

大の医者嫌いを公言してはばからない大野がこの時に限って、しぶしぶ健康診断を受けたのにはわけがあった。

ボストン州立大学から国際的な新薬開発プロジェクトの研究主任のオファーが届き、審査書類の一つに健康診断書があったからだ。

「新薬研究の第一線にいるのに大の医者嫌い」という研究者が、こんな形で自分のがんと向き合うことになった。

案の定、患者としてはまぁ、扱いにくい人間だった。

なまじ知識があるだけに、いちいち治療、投薬に関して質問する。

黙っているのは、手術中だけだったと担当医も呆れたくらいだった。

質問と言っても、クレームに近いニュアンスの質問だった。

当然、ナースにも極めて評判は悪かった。

そこで乗り込んできたのが、多田婦長だ。

大野もこの婦長さんにだけは頭が上がらなかった。

理屈ではなく、迫力で言い負かされた。

「ん?医者嫌いの人がいつまでもここにいたいの?おかしいでしょ。早く出たいのなら、言うこと聞きなさい」と、こんな感じだ。

「だから、おれは死んでここから出てもいいんだ。いろいろ言わんでくれ」、大野も抵抗した。

でも、何回戦やっても大野の負けだった。

手術後、脈拍が乱れ、最大の危機が迫った。

「死んじゃったら、治るもんも治せなくなるでしょ。死ぬなーーーー」。

多田婦長がその時発したひと言だった。

その時、付き添っていた大野の妹がこの時の一部始終を目撃していた。

そんなこと言って恢復できたらこんなラクなことはない。

婦長のくせにずいぶん非科学的と。

そう思って驚いたらしいが、もっと驚いたのはその喝で大野の脈拍がどんどん正常に戻っていったことだった。

そして、突然、大野の口元に耳を持って行って、こう言ったという。

「なに、研究資料の整理やってないの?ダメじゃん、早く元気にならないと」と。

のちにわかったことだが、この時、大野は研究所のコンピューターの前にいる夢を見ていたらしい。

大野の妹は、どうして婦長にはそれがわかったのか謎だというのだ。

「人間、生きててナンボよ」。

それが婦長の口癖だった。

大野は、多田婦長の来し方を厨房のおばさんに聞いたことがあった。

24で結婚し、32歳で夫に死に別れ、ひとり息子も水の事故で亡くしていた。

そりゃ、迫力負けするわ。

大野はそれ以来、婦長にはつねに一歩下がって接した。

でも、そうすると婦長はどこかさびそうな表情を見せた。

どつく相手がいなくなるじゃないか、そう言ってるようだった。

それで大野も気がついた。

自分の伴侶にはもってこいの人じゃないかと。

婦長ではなく、ひとりの女性としてみると別の面が見えてきた。

自分が46歳まで独身を通してきたのはこのためだったのかもしれない。

そう一度思うと確信に変わっていった。

今日は、その初デートの日だ。

若い野口は看護師を誘いだした室長の行為にびっくりしていたのだ。

ま、若いもんにはわからないだろうよ。

こういう恋愛だって世の中にはあるんだ。

「人間、生きててナンボ…」、大野も改めてそう思っているところだった。










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この記事へのコメント

2014年08月27日 09:37
なんだか、ふっと笑みが出る話ですね。 フィクションにしてはリアルさがある、だれかモデルがいそうですね。
面白い物語ありがとうございます。
2014年08月27日 14:07
ごろーさん、面白かったです。
なんとなく、似たような展開になるお話を、以前TVドラマで観たことがあるような気がしますが、このような展開になることは、現実の世界でもあることですよね。
2014年08月27日 18:11
What's up?さん,実は今回はわりとぼくのオリジナルなフィクションです。まぁ、モデルと言われると、いないわけではないのでしょうが、いないに等しいと思います。
ほぼ、テキトーに書き始めて、削ったり足したりして、創作で作り上げた感じです。
2014年08月27日 18:15
あきさん、コメントありがとうございます。小説の場合、似たような展開って言い出したらたいがいある展開のような気がします。ぼくの潜在意識の中にTVで見たのが残っていたかもしれませんね。でも、今回は、まったくの創作でした。
それは誓って本当です。
小枝
2014年08月27日 18:37
体に故障をきたした人達と
それを治さんとする医師と看護師。
そして患者を取り囲む(家族、外野)とで
病院そのものが私には
《カプセルの薬》の体を
成しているかのように見え…
病院へ行こう!とか
ナースのお仕事がよぎっていきました(笑)

天真爛漫すぎる、
ユニークな看護婦さんが
私が入院した時にも居たな~と…
思いだし笑いしながら
楽しく読破させて戴きました。
2014年08月27日 19:42
小枝さん、ご丁寧なコメントありがとうございます。
大したことのないブログでこうしていつも僕のつたない小説を読んでくださる方がいる、それだけでどんな幸せなことかと思います。

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