神田カルチェラタン

ひょんなことから、30年ほど前ずいぶん一緒に仕事をしていたカメラマンだったT君の訃報を知った。

同じ団塊世代だった。

彼とはもう20数年、ご無沙汰続きであったが、妙なご縁のある方だった。

広告会社時代、たまたま彼と静岡のロケに行く時、ぼくは彼が運転している隣の助手席に座っていた。

後部座席では、スタッフやモデルさんたちが数人いたが、みな前日の撮影が押した関係で、ぐっすりお休みしていた。

ぼくも眠たかったが、T君に居眠り運転でもされたらかなわないと、ぼくはあれこれ話しかけた。

そうしたら、ふたりとも「神田カルチェラタン闘争」の時、中央大学にいたことが分かった。

しかも、ぼくは池袋のアパートで行われていたあるブントの勉強会に行っていたのだが、そのメンバーの何人かが共通の知り合いだったこともわかった。

そう言えば…と思いだして、写真学校に行っていたM君の話をした。

そうしたら、同じ学校だと目を丸くして驚いていた。

実は、ぼくは法政大学だったから、そういう意味では中核派の巣窟にいたことになる。

でも、その勉強会は革マルや社学同、社青同シンパが多く参加していた。

といっても、早稲田だから「革マル」シンパ、関西だから「社青同」シンパだろうくらいのことだったと思う。

もっとも「全共闘」というのは、多少の思想の違いは無視して大道に就こうというもともとの趣旨があったから、最初のころは雑多であることがむしろ「らしい」感じがあったのである。

実は、その勉強会にかの連合赤軍事件で悪名をはせた永田洋子も来ていたらしい。

ぼくは、その頃から生来のいい加減さと、ときに青筋を立てて革命理論のぜい弱さを糾弾する「ちょっとおかしい」連中の罵声が嫌いで最初から落ちこぼれのメンバーだった。

それに、大学1から2年にかけて、新聞配達をしていたからそうそうはいけなかったということもある。

そんなこんなしているうちに、新左翼の運動はどんどん分裂して行ったのである。

その象徴的な事件が、法政大学六角校舎で起きた海老原君リンチ殺害事件だった。

この頃から、内ゲバは凄惨さを増していった。

中核派と革マル派は、自分たちだけが正しいのだと譲らず、ついには暴力に訴えたのだ。

「思想」の名のもとに、ひとりひとりが自分勝手な気分で暴走し始めた

この頃からぼくは、勉強会で知り合った連中とのかかわりを一切切った。

怖かったというのもあった。

まぁ、その頃の言い方だと「日和った」か「転向した」。

一度、その仲間が2日続けてぼくの下宿にまで来たようだが、ぼくは友達の家で麻雀していて数日留守にしていた。

あの時、下宿にいたら、ひょっとすると連合赤軍かなんかに連れて行かれてたのかもしれない。

いま、思ってもぞっとする。

根性なしでは人後に落ちないぼくなどは、まぁ、一番に総括されてあの世行きだっただろう。

「あさま山荘事件」の映像を見ながら、何とも言えない複雑な思いが口の中を酸っぱくしたのをいまさらながら思い出す。

新宿騒乱事件の時もぼくは催涙弾の下で逃げ惑ったが機動隊に捕まることはなかった。

しかし、いま思うのは、本当に左翼思想がそういう行動をさせたのではなかったということだ。

あの頃の、若者のファッション感覚でしかなかったのだ。

勉強もしたふりでしかなかった。

マルクスもレーニンも毛沢東も、ヒトラーの「わが闘争」も同じだった。

するっと理解できる著述ではなかった。

難解だったから、周りの皆が言うことに賛同していただけだった。

つくづくそう思う。

ぼくのような取るに足らない人間が結論づけても何の説得力も持たないだろうが、ぼくにとっての「思想性」はとどのつまり「中日ドラゴンズファン」と一緒みたいなものだった。

「ドラゴンズファン」からしてみれば「巨人ファン」の気がしれない。

「巨人ファン」からしてみれば、「中日ファン」って同じ日本人か?と、異邦人を見る思いだろう。

要は、「味方」意識でしかない。

数日前、たまたまニコニコ動画で、三浦小太郎という評論家が「現在のナショナリズムの勃興」について語っているのを見た。

http://www.nicovideo.jp/watch/1398420832

ぼくは、わが意を得たりという気持ちでこれを見た。

こう思うのは「極右」もしくは「右派」なのだろうか、「中道右派」なのだろうか?

どちらにしても、戦後左翼を担った「進歩的知識人」の左翼思想は、ぼくにとってすっかり「味方」意識を持てないものに変わりつつある。

もともと『葉隠れ』思想の佐賀県で幼少の頃、埋め込まれた右翼思想が顔をのぞかせているのだろう。

ぼくは、9条の放棄を喜ばないが、しかし、9条が戦後の平和をもたらしたというのはまったくの嘘だと思う。

中国、韓国が力を持たなかったから摩擦が起きなかったにすぎない。

さらに、中国も韓国も日本も財政破綻の一歩手前にある。

どこが一番先に行きつくかの状態にある。

ギリシャはEUがカバーしてくれた。

しかし、アジアはどこがカバーするのだろう?

民衆の暴動・不満が外に押し出される危険はかなり高い。

三浦氏などはそれを強く指摘する。

ぼくもそう思うのだが、どうなのだろう?

歴史の歯車が、まったく予想不能な方向へ動き始めていることだけは確かなようだ。












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この記事へのコメント

2014年05月01日 09:02
人生って 本当に解らないものですね。
こんな私でも大学時代は 民青の連中が よく狙って?オルグに来ましたよ。よく目立つ子でしたので どうしても仲間に引き入れたかったのか?
親の反対、それに 自身もどうしてもそういう考え方には付いて行けないと思い断りました。
私がそういう仲間になって居たら 永田洋子も知り合いだったかも?
山中で恐ろしい事件が有りましたね。
ゾ~~としたことを思いだします。
2014年05月01日 10:58
中日ファンと巨人ファンに話が行くとは
思っていませんでした(笑)しかし、まぁ
そんなものだったと思いますよ。私は働
かなければならない状況でした。なので
連中はヒマなのかな?ぐらいにしか思って
いませんでした。申し訳ありません!
過去に記事アップしたことがありますが
私は半世紀近くのHam(アマチュア無線)の
履歴があります。謀略放送局などを通じ
て左系の情報が連日ありました。毛沢東
現役の頃に本国(当時の北京放送局)から
送られてきた冊子などはひょっとすると
今ではお宝かも知れませんね。
私もモデル達を連れて沖縄へロケに行っ
たことがあります。仕事を理由に遊んで
いましたが。長くなりますのでこれで。
2014年05月01日 14:06
あるほど・・・ごろーさんの世代は永田洋子たちと同世代と言うことなんですね。
浅間山荘の事件や「総括」と称する残忍な行為など、思い出します。暗い時代だったように思いますが、今よりも学生にエネルギーがありましたね。
この話を読んでいて、頭のなかで突然「イチゴ白書をもう一度」のメロディーが流れていきました。
脈絡のない話でごめんさい。
2014年05月01日 21:35
ハイジママさんはきっと活発な美人学生だったのでしょうね。民青だけじゃなく、どこのオルグでもそういう目立つ子は狙ったものです。ぼくも最初、民青のイベントに参加して、中核の友人に「お前、何考えてんだ」と怒鳴られました。共産主義だからみんな一緒だと思ってました。青いというより、アホかったですね。
2014年05月01日 21:40
はぎさん、その通りです。ヒマだったんです。親の脛かじって、遊び呆けていました。マルクスの勉強とかは、その罪滅ぼしのつもりだったんです。そうなんですか、謀略放送の話、今度、ぜひアップしてください。
2014年05月01日 21:46
ごめんなさい、あきさん。気をつかっていただいて。きっと、精いっぱいのコメントですよね。そうまでして、コメント寄せていただいたことに深く深く感謝いたします。「いちご白書」はぼくのカラオケ18番です。特に3番の髪を切ってきたときのことなど、昨日のことのように思い出します。

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