ビンタの教え

大阪の学校で、ナイフを持ち込んで生徒を脅していた少年を校長先生が叩いた。

これが「暴力」に当たると父兄が騒いだため、その校長先生は自ら反省し、依願辞職されたらしい。

ぼくは、この事件を新聞で読んでひとり憤慨していた。

ブログで書かなきゃと思っていた矢先、この騒動が、「そこまで言って委員会」でも取り上げられていた。

田嶋陽子女史が唯一、これを「暴力」としていた。

ぼくはかねがね学校での懲罰、あるいは鉄拳制裁に今の社会はあまりにも過敏すぎると思っている。

サバイバル・ナイフを学校に持ち込む卑怯さは「制裁」して当たり前である。

ぼくの育った九州・佐賀だと、「ナイフば持たんとケンカもしいきらんかい!」と、男として最低のふるまいと軽蔑される行為である。

まかり間違えば、それこそ最悪な結果を生むことにもなりかねない。

人としてこういうみっともなさを看過してはいけない。

そういう思いこそが教育のそもそもの源泉である。

「ならぬことはならぬ」のである。

はっきり言おう。

これを「暴力」と騒ぐバカな父兄が、こういう少年を世に送り出している元凶である。

ぼくは、教育の現場にある程度の「制裁」はつきものであると思っている。

ところがこの「制裁」という概念が、旧軍隊の悪しき風習の名残と勘違いしている方が多い。

「制裁」という言葉は、法律や規則、また慣習・伝統などの社会的規範に背いた者に対して加えられるこらしめや罰。また、そうした懲罰を加えること。「―を受ける」「法に基づいて―する」「鉄拳―」と辞書にある。

まさに、この校長先生は「慣習・伝統などの社会的規範に背いた」ことを体罰で生徒の心に刻みこもうとされたのに違いない。

しかし、いかにバカな父兄からでもこの行為を批判されたことで、まさしく津川雅彦氏が指摘したように、この校長先生は「そんなことをいう社会に絶望した」のだろう。

自分が信じる社会的規範がすでに変わっていたら、鉄拳はただの暴力となる。

そう思われたのだろう。

その意味で言えば、田嶋陽子女史とは比べ物にならぬくらい、この校長先生は「左翼的進歩人」の生き方に徹している方である。

実は、ぼくも中学校の時、数度ゲンコをもらい、ビンタを張られたことがある。

正直、こんなことで殴られるのかと思ったこともある。

しかし、今思えば、殴られて当然だったなと思うことが多い。

中学3年の時だった。

ぼくのクラスの気の弱い男子が隣町の中学生にカツアゲされたことがある。

これを聞いて、わがクラスは激高した。

仇討ちをするということで一計を案じ、その隣町の番長たちを呼び出し、さんざんに傷めつけたことがある。

これが発覚して、学校同士の大問題に発展した。

僕らは全員ゲンコをもらい、職員室の前の廊下に座らされた。

この時、隣の中学校に謝りに行ったM校長がぼくたちのところへ来てこう言った。

「お前たちは、5人を相手に倍以上の13人で襲った。男子として恥ずべき卑怯者である」。

そして、この学校から13人もの卑怯者を卒業させたら、校長として世間に顔向けができない。

だから、今後卑怯なことをせぬようわたしのビンタを受けなさい。

そうおっしゃって、泣きながら僕らを叩かれた。

「友だちは…、大事に…、しなきゃ…、いけない…。だけど…、だからと言って…、卑怯な…、まねを…、したら…、男として…、恥ずかしいだろう…。みっともないだろう…。卑怯なことは二度とするな…!」

ぼくは、一番最後の「卑怯なことは二度とするな…!」のところだった。

今ならこれも「暴力」とされるのであろうか?

ぼくは、この時の「ビンタの教え」はぼくのその後の生き方に大きく影響したと思っている。

「卑怯さを嫌う」ことで、現実を受け入れ、自分の努力で改善するしかないと思ってきた。

「近道を行く」ことさえ、ある種の卑怯さを感じ、潔しとしなかった。

おかげで、随分しなくていい遠回りをしたかもしれない。

なぜかいま、ギリギリの貧乏にあえいでいるのもそのせいかもしれないとも思う。

でも、それでよかったと今は思うのである。

要領よくやって、たとえ金を残してもそのせいで失うものも多いはずだ。

世間に恥じることなく、心豊かに生きてこれた、それだけで十分である。

わが子を叩けぬ親が増えているという。

それは優しさではない。これもある種の卑怯である。

なにも訳もなく叩くのではない。

根本に自分の信念と愛情があれば、わが子は叩けねばならない。

子どものうちは、多かれ少なかれ野人なのだから…。

しかし、教育関係者、指導者は簡単によそさまの子どもに手を上げてはならない。

まして、桜宮高校みたいに日常的に体罰が行われたらそれはやはり「暴力」である。

「やる気に欠ける」と言って、殴るのは自らの指導力のなさである。

その違いを混同する人は教育関係者として職を得てはならない。

また、「懲罰」すべてを「暴力」とする価値観は社会をひ弱にする。

ビンタの教えがあることを知るべきである。




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この記事へのコメント

2013年09月09日 20:45
このバカ親は自分の子供がナイフを持って歩き回るのを肯定していることになると思いますね。 親がやることを校長がやってくれたと感謝すべきなのに、狂っています。
幸い、私は先生からビンタなどの暴力の経験はありませんが、子供同士のけんかや殴り合いはありました。 そこでけがをしたり、言い合ったり、仲直りしたり、学んだことはたくさんあります。「暴力はすべて悪い、ではない」は経験からわかります。
2013年09月10日 00:40
What's up?さん、毎回、いの一番にコメントを書いていただいてますが、皆勤賞でなくても全然構いませんからね。ぼくはここ数日、仕事やプライベートでとてもブログ気分ではありませんでした。今回のも途中まで書いていたからやっとこすっとこ書き上げたものでした。
2013年09月10日 14:43
私は・・・・小、中、高校で先生に平手打ちをくいました。ぶたれやすい子供だったと思います。
さすがに大学ではぶたれませんでしたけどね。
私の経験から判断すると、「見せしめ」の感が強かったようですね。
ですから私は、他の生徒達のために「犠牲になってあげた」と思っています。
あの頃は先生にぶたれるということに、社会全体が抵抗感を持っていませんでしたからね。
多分私をぶった先生は、自分の至らなさに気が付いて、後味の悪い思いをしたと思いますよ。
2013年09月10日 15:47
What's up?さんが平手打ちの経験がないと書かれていたので、やっぱり九州の田舎学校だったからだと何気に納得していたのですが、あきさんも打たれたくちですか?ぼくは、高校ではもう打たれることはありませんでしたよ。ぼくのところより酷いですね。うーん、そういう風土ってやっぱりいけないようにも思いますね。
2013年09月10日 16:52
その通り!
言うことありません!
2013年09月10日 23:46
ぼく、絶対、はぎさんとは話し、合うと思うんです。はぎさんの前のブログなども読んでその意を強くしました。なんか人生折節の経験が似てるような感じがします。

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