芸の巧拙

演技であれ演出であれ、一種の創造作業が入ってくると「芸の巧拙」が生まれる。

落語や漫才といった演芸も同じように「うまい、下手」がある。

インターネットで落語を聞いていたら、志ん朝さんの前座時代の録音があった。

とても前座とは思えないうまさである。

立川談志師匠もそういう早咲きタイプの落語家だったようだ。

こうしてみると、やっぱり天賦の才というものは確かにある。

しかし、こういう才能型の人ほど後年の苦労は半端ないことになりやすい。

一方で、小さん師匠のように最初はあまり評価されなかったのに、後年になって味が出て名人まで上り詰めたような遅咲きの落語家もいる。

しかし、結局、「努力」と「才能」はセットになっていて、どちらかだけということはなさそうである。

天賦の才も「努力」のうちだし、努力の人も「才能」のうちである。

だから、天からの才能だけで「努力」出来ない人は、実は本当の意味での「才能の人」ではない。

そういう点からすれば、「才能の人」も普通よりちょっとくらい上の「才能」では、天賦の才とは言えないかもしれない。

同様に、人並みのちょっとした「努力」の積み重ねでは「努力の人」とも言えない。

心から「うまくなりたい」という情熱がたぎっていて、それを持続させ続けない限り名人芸には到達しない。

長くやってればいいというわけでもないのは、とどのつまり、この差であろう。

「演技」と「演出」もまた別の才能である。

名選手、必ずしも名監督ならずというのはひとつの法則である。

「名優」が「名監督」になった例をぼくは知らない。

そういうことで言えば、自分の本当の才がどこにあるかを見極めることは重要な分岐点かもしれない。








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