黄燐マッチ

昨日の「おでかけ朗読会」で読まれた父への手紙での「テレビ見せろガキ蓮(?)」の話で思い出したことがある。

ぼくは昭和23年(1948)の生まれだから、彼らと全く同じ世代である。
いわゆる「戦争を知らない子供たち」だったわけだから、ぼくが戦後の思い出というのはちょっと変だとは思うのだが、戦後らしい思い出としていの一番に思い出すのは黄燐マッチのことである。

黄燐マッチ。
今の若い人にはピンとも来ない言葉だろう。
実はぼくの育った佐賀県の家は、福岡と長崎の佐世保を結ぶルートわきにあったため、朝鮮戦争当時はやたらと進駐軍の戦車が轟音を響かせながら家の前の県道を通って行った。
当然、ジープに乗った米兵もよく見かけたものである。

この米兵(当時、僕らは米兵のことをアメちゃんと呼んでいた)が、タバコを吸う時、この黄燐マッチを取り出して軍靴のウラやそのあたりの壁などでスッとこすると火がつくのである。
この様子がはたから見ていてもカッコイイ。
いかにもアメちゃんという感じだった。

小学校で友だちの一人が黄燐マッチを持っていて、みんなに見せびらかした。
これが猛烈に羨ましかった。
それからすぐのことであった。
たまたま米兵がなにやら道にでも迷ったのか、ジープを止めて地図を広げているところに差し掛かった。
ぼくは勇気を出して近づいていき、ジェスチャーで黄燐マッチをする真似をして「ギブミー」といった。
ぼくの生まれて初めての英会話だった。米兵たちは声を上げて笑った。
なんだか知らないが、小さな袋ごともらって、黄燐マッチは黒人の米兵から手ずにもらった。

嬉しくて、嬉しくて、帰りにポケットから取り出してマッチを擦った。
黄燐マッチだからなのか黄色い大きな炎がバーっという感じで付く。

ところが、帰ってきた途端、父に目ざとく袋を見つけられてしまった。
「どうした?どこで手に入れた?」
すごい形相で詰問された。
その十年ほど前まで、海軍の軍医中佐だった父である。気に食わなかったのだろう。
マッチも全部取り上げられてしまった。

たしか「ギブミー」という言葉を教えてくれた6才年重の兄ともその後もう一度怒られた。
戦争に負けたからと言って、みっともないことはするな。
きっとそんなことを説教されたんだと思う。

今でも帰省して、その黄燐マッチをもらったあたりに差し掛かるとそれを鮮やかに思い出す。
黒人の額に浮かんでいた雫のような汗と一緒になって…。
昭和30年くらいの夏休みの思い出である。



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